文学作品(川とノリオ)で子供と戦争について考えてみる

雑記
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日本人として忘れていけないものに「戦争」が挙げられると思います。

終戦記念日近くになると日本テレビで「火垂るの墓」が放映されたりしますが、筆者が子供と一緒に読みたいのが児童文学の「川とノリオ」です。

私はもちろん戦争を知らない世代です。

でも、日本人として生きていくには「戦争」について考えていくことが大事だと思っていますし、親として子供にも伝えていく義務があると思っています。

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「川とノリオ」のあらすじ

もちろん「火垂るの墓」を子供と一緒に見てもいいと思います。

でも、私は見ません。トラウマです。悲しすぎます。(あれが戦争の真実だとは思っていますが…)

アイスランドの歌姫「ビョーク」が出演していた「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も救いがない二度と見たくない映画No.1ですが、私の中では「火垂るの墓」も同率1位です。

そんな私がおすすめするのが「川とノリオ」という児童文学作品です。

小学校の教科書で読んで以来のファンです。

川とノリオ

小学校の時は訳も分からず、川とノリオの本文をノートに写していました。手が疲れましたが、その頃から「文章を書く」という作業が好きになったと思っています。

「川とノリオ」は、川と仲良しなノリオという男の子が主人公です。戦争になり父ちゃんが出征し、母ちゃんとじいちゃんと3人で暮らし始めます。

しかし、途中で母ちゃんもヒロシマ(原文にこう出てくる)に落とされた原爆で亡くなります。

さらに、父ちゃんも戦争で亡くなって帰ってきます。

じいちゃんと二人で生活していくことになったノリオは、小学生ながらもじいちゃんの仕事の手伝いをしながら生きています。

母ちゃん帰れ、母ちゃん帰れよう、と言葉にならない想いを持ちながら…。

「川」はノリオの遊び友達という他に、終わりある人間と対比された「永遠の流れ」という存在として描かれています。

文学としてのすばらしさが詰まっている「川とノリオ」

「川とノリオ」は小学生には結構ハードボイルドだと思います。

分かりづらい表現がたくさん出てきますし、会話文はノリオの母ちゃんが言った『B29…』しか出てきません。

その他は比喩表現や擬人法、暗示的表現などで淡々と物語が進みます。

しかし、その「淡々」がむしろノリオが置かれた状況やじいちゃんの絶望を引き立たせる役目を果たしています。

戦争によって引き起こされた『悲しい』想い、『悔しい』想いが冷静に、そして詩的に表現されているのです。

例えば、母ちゃんが亡くなった(ノリオはそれを知らない)ことは、

『ばあちゃんの仏壇に新しいぼんぢょうちん』

とか

『ノリオはじいちゃんの子になった』

のように表現されています。

父ちゃんが亡くなったことはこう表現されています。

『父ちゃんが戦地から帰ってきた』

これを読んだら「良かった!」って思うじゃないですか?でもその次にこう表現されています。

『父ちゃんは小さな箱だった』

冷静な表現の中にノリオとじいちゃんの悲しみが伝わってきます。

じいちゃんは顔を『平家がにのようにぎゅっとゆがめ』、『ごましおのひげをかすかにゆらします』

どこにも「泣いている」とは表現していません。

小学生には多少難しい書き方かもしれませんが、大人と一緒に読んでその表現のすばらしさを楽しむのもいいでしょう。

私はラストシーンで必ず涙が出てしまいます。

じいちゃんの手伝い(ヤギの草刈り)をしている最中に、お父さんと楽しそうにしている友達を見てしまいます。

サクッ、サクッ、サクッ、かあちゃんかえれ。

サクッ、サクッ、サクッ、かあちゃんかえれよう。

これもセリフではありません。ノリオの心の声として描写されています。

小学生のノリオが自分の気持ちを押し殺しながら生きていくこの描写がたまりません。涙腺を刺激します。ヤバいです。

戦争についてドキュメンタリーなどを一緒にみるのもいいですが、たまには文学を通して親子で考えてみるのもよかったなって思っています。

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